あがり症を克服する方法/内面の葛藤を見つめた上でそのままにしておく

こんにちは。
セルフフラワリングの奥山あきひろです!

今日はあがり症のことについて、本を借りてきて学びを深めたので、シェアさせていただこうと思います。

結論から言っておいた方がいいと思うので先に言うと、「内面の葛藤を見つめた上でそのままにしておく」のが一番いいというのが、今回出た結論でした。

どうしたらあがり症は治るのか?

どうして今回いきなりあがり症について考え出したかというと、ぼく自身があがり症だからです(笑)

来年からワークショップをどんどん開催していきたいなと思ってるんですけど、初対面の人を前にワークショップを行うことを考えただけで、口に唾が溜まるようになってしまいました(汗)

緊張すると唾がたまったり、限界を越すと汗が噴き出すようになるのですが、それが恥ずかしいのなんのって!

この「初対面の人」というのが、ある意味のキーワードなのですが、ぼくは初対面でも緊張する人と、しない人に大きく分かれます

すべてにあてはまる例ではないけど、たとえば無表情な人は何を考えてるか分からないので、なんか緊張しちゃう。

逆に笑顔で受け入れてくれてる感がある人は、まったく緊張しないし、みたいな感じです。

かなりムラがあります。

そしてそれは「人」だけではなく、「場」に対しても当てはまります。

こっちの場では全然緊張しないんだけど、あっちの場では超緊張する。。

サッカーでいうと、「ホーム」(自分の陣地)でプレイしている時と、「アウェイ」(敵の陣地)でプレイしている時の違いみたいです。

なんとなく感覚で、「考え方の違う人達が集まってそうだな」とか、「どう接していいかわからない」となると緊張しませんか?

これは役者時代からのぼくの悩みです。

ぼくの知ってる中でもこういう人って結構いるし、島国文化のDNAの日本人は、かなりあがり症やスピーチ恐怖症が多いと思います。

良書「あがり症は治さなくていい」の紹介

ぼくの場合、10歳の時のトラウマ体験が尾を引いてるのは分かってるのですが、この話は長くなるので、今日はこの本を紹介したいので先に進めます。

昨日図書館で二冊本を借りてきました。

一冊は実質的なスピーチの本で、あまり役に立たないわけではないけど、なんか方向性が違うなと思ったので、パラパラめくって返してしまいました。

結局借りたのはこの本です↓

あがり症は治さなくていい —大切なことはアドラーと森田正馬に教えてもらった

著者/佐藤健陽

アドラー心理学と、森田療法の組み合わせって、めっちゃぼくの好みです♪

二人には今までもお世話になったけど、もっとこれからもお世話になりたいと思ってるし、アドラーに関しては資格取るくらい勉強して、実践して、人間関係やワークショップに活かしたいなと考えてます。

ちょうどフロイトが「夢判断」という本を書いたのが1900年で、それから「無意識の発見」的なところから、現在の心理学は盛り上がって発展してきました。

アドラーが生きた時代は(1870年~1937年)

森田療法の森田正馬さんが生きたのは(1874年~1938年)

ほぼ同世代で、まさに心理学創世記の時代。

ちなみにぼくの大好きなユングが、ぼくよりちょうど100年前に生まれていて1875年だから、みんな100歳年上の先輩という感じですね。

「あるがまま」の森田療法

森田療法は、ざっくりというと、症状は認識しても気にせずに、「あるがまま」にして行動していくというような療法です。

対人恐怖症でも、赤面恐怖症でも、考えず飛び込んでいって、その時々の目的に沿って日常的な行動をしていく。

そうすると「あら不思議」で症状を忘れていたり、気づいたら治ってるなんてこともあるみたいです。

結局この本でも書いてあったんですけど、あがり症の人って、自分が「あがる」ことを承認していないのが原因みたいなんです。

ものすごく恥ずかしくて、絶対同じようなことをしたくないというトラウマ的な経験があって、それを繰り返さないように、一生懸命あがらないようにと考えるんだけど、それというのは「あがることばかり考えている」のと同じというといいます。

自分にもあてはまるところがかなりあって、痛いです。

意識が無意識をなんとかしようとする方向性自体が、西洋発の現代社会の傾向だと思うし、その恩恵を受けて(?)ぼくにもそういう傾向があることに気づかされます。

完璧主義かと聞かれると、完璧主義ではなくて「80点主義」と答えますが、それでも79点の自分は認めないまでいかないけど、積極的に認めたくはないですもんね。

それでも理想はあるので、難しいですけど。。

理想を持つのは悪い事ではないけど、理想と現実のバランスが大きく崩れると、なんらかの不具合が体や心に生じます。

森田さんの本は以前に読んだことがあるのですが、「理想の自分」と「現実の自分」のギャップが症状を起こすんだってことが書かれてありました。

今回の本にも、あがり症の人は頑固者と書いてあったけど、その頑固な部分がもう役に立たないものとなってる以上、難しいけど手放してくしかないんだろうなと思いますね。

「勇気と共同体感覚」のアドラー心理学

アドラーは、ベストセラーになった「嫌われる勇気」で一躍有名になった心理学ですね。

フロイト、ユングに続く世界で三番目に有名な心理学者ですけど、この本がでるまで日本であまり紹介されてなかったし、ぼくも注目してませんでした。

ところがこの本のおかげで、世間に知られるようになり、そこに書かれてあることは机上の理論ではなく、実践的で日常生活的なのでとても使えると好評でした。

いろいろな概念があってまだぼくは一言でアドラー心理学をまとめられませんが、この本の著者は「勇気と共同体感覚」という言葉でまとめていました。

この「勇気づけ」や「共同体感覚」についても、またこのブログで書いていきたいです^^

この本では「正しい欲望を持つ」ということがキーワードとして書かれていました。

受け入れたくない、思い出したくもない負の感情を受け入れて、あるがままに生きていく方向。

結局人は深い意味では、人って自分の優位性を表現したいわけでなくて、人とのつながりの中にある共同体感覚を感じたいのだと、ぼくも思います。

だから本来、緊張してしまう自分でもいいし、そう見られてもいい。

結論「内面の葛藤を見つめた上でそのままにしておく」

今回のぼくの場合、お金をいただいてワークショップに参加してもらうのに、そこで自分が緊張して責任を果たせなかったらどうしようみたいな風に、思考を展開させてしまうことに気づきました。

気づいたらやめる方向にいこうと思います!

なんとかなるのは分かってる(笑)

ずっとやってきたから。

でもこの緊張をなんとかしたい、という切実な気持ちが自分の心の中に渦巻きます。

両方の自分の思いを受け入れつつ、なんとか症状を改善しようとするのでなく、緊張したら「緊張しちゃった」といって笑えるくらいの余裕がほしいですよね。

あがり症で苦しんでる人もいると思うので、またあがり症のことや、ぼくの今後の進展のプロセスについて書いていきますね。

ということで今日の「あがり症はどうやったら克服できるか?」の結論は、「内面の葛藤を見つめた上でそのままにしておく」でした。