こんにちは。
セルフフラワリングの奥山あきひろです!
職場での人間関係というものは、なぜにこうもしんどいものなのかと悩んだりしませんか?
ぼくは絶賛葛藤中です(笑)
プライベートの友人と違って選べるものではないですからね。
しかし自分の現実に起きてくることですから、肯定的に取れば何らか学べることがあるはず!
そうじゃなければ、人生に起こってくるわけはありません。
ということで、今日はこの首を絞められたような人間関係から、何を学ぶことができるかという考察を、悩みの真っただ中にいるところから考察していこうと思います^^
目次
人生で起きてくることは「成長のための必然」である。
この前自己啓発やお金のことを発信していて、ぼくが最近よく聞くyoutuberの方が白坂慎太郎さんが、こんなことを言っていました。
人生で起きてくることはその人にとって偶然ではなく、必然です。
しかし「幸福になる必然」ではなく、「成長のための必然」なのです。
このことがぼくの腑に落ちました!
なるほど、現在このブログでも深く追求している精神科医が書いた本『愛すること、生きること』で言ってるように、人間の魂というものは小さいものから大きいものになろうと成長し続けているのです。
そして人間は(残念ながら)、ポジティブなことからよりも、ネガティブなことから学ぶことがとても多いようです。
「自分が痛い思いをしてはじめて人の痛みが分かった」などという経験はありませんか?
ぼくはそんなことばかりだし、まだ経験して人の痛みが分からない部分も多々あります。
人間の浅い部分は、やはり嫌なことを避けて、楽しいことだけやっていたいものです。
しかし深い魂の部分は、苦しい思いもして、人としていろんな体験をし、成長していきたいのでしょう。
その事実をどう受け止めるかで、学びが全然違ってきます。
職場の人間関係、ぼくもとてもきついです。
修行というと少し嫌な言い方ですが、ぼくの問題の種である彼がぼくの人生に現れて、もう約4年も居座っている以上、向き合うしかないと思っています。
(しかし逃げ出したい気持ちや、「もうこいつは無理だ」という思いも同時にありますが。。(汗)

ぼくの悩みの人間関係
それでは実例として、わたしの苦しい苦しい人間関係について語ろうと思います。
1~2度このブログでも書いていますので、読んでくださった方もいるかもしれません。
わたしは某事務センターの総務チームとして働かせていただいてますが、そこのチームの必要数が二名なのです。
つまりどちらかがやめない限り、ずっと固定な関係なわけで。。
ぼくは後から入ったので、ずっと彼がリーダーで、悪く言ってしまうと「目の上のたんこぶ」であり続けています。
こんな関係ははじめてですが、もう4年も続いてるのがとても不思議です。
今はやめたくないプライベートの事情もあるのですが、最悪キャパを越えてしまったらやめようと思っています。
彼はたぶん10歳くらい年上の男性です(実年齢も知りません。そういうプライベートな話は一切しないのです)。
基本的にはとてもいい人だと思います。
しかし真面目であるがゆえに、「これが当たり前」という基準が強いみたいで、感情的な地雷を持っています。
ぼくがうっかり彼の「正しさ」からはみ出すと、猛烈な「瞬間湯沸かし器」が発動するのです。
ぼくはこのゲロを吐きたくなるような、ネガティブな感情に耐えられませんでした。
ただ見ている着目点が違うだけなのに、まるで自分がミスしたかのような言い方をされます。
またぼくは激しく感情的に攻撃されると、反発するというやっかいなパターンを持っており、今でもですがやりあうことが多いです。
しかし彼の方が立場が上=権限があるし、とにかくエネルギーでやりあったら負けてしまうので、泣き寝入りです。
「はい、はい、好きにしてください、言われたとおりにやりますから」といった具合に。
しかし言われたとおりにやっていても、やはり地雷を時々踏むのです。
彼とぼくの判断基準、着目点が違すぎて、非常に苦労します。
しかしこのバトル(彼はそう思ってないだろうが)を通して、随分お互いに成長できたのではなかろうかと思っています。
ぼくも前よりは反応しなくなったし、前はあきらめて「はい、はい、はい」とやっていたのですが、今は一応じぶんの意見を(言えと言うので)しっかり言ってます。
すべての問題は人間関係だと言いますが、本当にそうですね。
仕事だけだったら、ぼくは何の問題もなくこなしていると思います。
今の総務チームも大きな事故もなく、かなりよくやってると思います。
ただそこに彼のこうなりたいだとか、こうなってほしいだとかの「理想」があり、それが理解しあえず、非常に苦しんでおります。
昨日も激しい衝突があり、「しつこいです」と言ってやりました。
しかしアドラーでいう目的論的に言えば、ぼくの目的は「自分が正しい」と主張するわけでも、「彼に勝ちたい」わけでもなんでもありません。
ただお互いを分かりあって向上していきたいだけなのです。
しかしそれがこうも難しいとは。
夫婦の人間関係でよくありそうですが、「相手がこうこうでいてくれたら」うまくいくのに、というのが典型であると思います。
ぼくとしても「相手がこんなに感情的にネガティブに言ってこなかったら」というのがあります。
しかしぼくも感情的なところがあるので、鏡なのかもしれません。
まだこちらは進行中で解決の見通しがついてないのですが、それでも理屈では突破口を見出しているので、それについて書こうと思います。
まずは自分からより多くを与えることが大切
そんなかんなで、昨日の夜はすた丼と生ビールを仕事帰りに流し込んで、やっぱり飲み食いはストレスを一時的に紛らわせてくれるものなのだな、と実感して苦笑いしていました(汗)
そして帰ってこんなyoutubeチャンネルを見てみました。
最近よく語るアドラー心理学の学ぶ機関「ヒューマンギルド」の方で、とてもわかりやすく説明してくれております。
この動画で相互尊敬、相互信頼と言った時に、それはフィフティーフィフティーではない、と言っています。
まずは自分からより多くを与える。
こちらから相手を尊敬して、無条件に信頼するということですよね。
それができてるか?
まったくできてません。。
まあ、もしかしたら半分くらいできてるかな?
彼の良いところはよく尊敬してるし、よくここまで先を見越してシュミレーションしてるなと感心します。
しかし同時にそれが怖れからきてるのだろうな、ということを見て取って、「小さな人だ」と判断してるので、これは尊敬というか、ディスってるところですよね。
こちらが尊敬して、相手の成長を勇気づけていないから、それが返ってきて、尊敬されず、勇気くじけをさせられてるのかもしれません。
相手は競争社会でやってきて、これを身に付けたらプラスになる、と思って善意で言ってる部分も分かっています。
ただ、この「ただ」がぼくは付いてしまうのです。。
ここには主導権争いみたいのもあって、相手の聞くだけでは言いなりになるみたいなぼくの中の怖れもあります。
一筋縄ではいきません。
でもこれは大きく見たらいい体験をさせてもらってると思います。
新しい関係性のためにできること
さて、結論になりますが、ぼくはもうこのような狭い意味での協力関係は嫌です。
本当に信頼できる仲間と、本当に協力しあえる関係性を作りたい。
彼がどうのこうのではなく、会社という組織では難しいがきてしまいます。
どんな会社かにもよりますが。
これも決めつけかも。。
まだまだ見えてないところは多々ありますが、もう心は次の社会の次の人間関係性が見えてきているところです。
体はその理想にたどり着くまで、いろんな体験を繰り返して行かなければならないと思います。
非常に大変ではありますが、1ミリでも彼の気持ちを分かって、自分の気持ちも分かって、お互い成長できたら嬉しいなと思っています。
心を閉じたくなっても、ほんの少しでも開ける努力をしよう!
また進展がありましたら、書きますね。