こんにちは。
セルフフラワリングの奥山あきひろです!
今日は、今ぼくが悩んでいる問題に対しての仏道からの返答ということで、「あいつのせいでオレが苦しんでる」をやめる、というテーマで語っていこうと思います^^
ぼくは自分が調子いい時は仏道に見向きもしないくせに(汗)、悩み苦しみに捕らわれると仏道に戻るという、ちょっと都合がいいなと自己ツッコミを入れたくなる人です(笑)
うまくいってる時はこの世が一切皆苦(すべてのものは苦しみ)であることを忘れて過ごしていますが、ちょっと踏み外して調子が悪いとこの原則を思い起こさせられます。
今日もクールなブッダな教えに喝を入れてもらって、反省できたのでそのことを語ります!

隣の部屋の騒音問題
現実問題で悩んでしまうところはまだいくつかあるのですが、特にまいってしまっているのが、隣の騒音問題です。
アメブロ時代にも書かせていただきましたが、
- 直接言いに行く
- 手紙で伝える
- 管理会社を通して言う×3回
- 警察を呼ぶ
と、いろんなアプローチをしてきましたが、一向に直す気も、他者に迷惑をかけているという気づかいもまったくないようです。。
ぼくはブログを書くのをはじめ、映画シナリオや、数秘術など、さそり座的に集中してどっぷりつかる時間が大好きです。
でも「よしやるぞ」と家に帰ってくると、隣からテレビだか音楽だか会話だかの声がだだ漏れしている。
一応鉄筋コンクリートのアパートではありますが、相当にでかい音を出していることが予想されます。
奴がいるといないとで天国と地獄です。(語ってる内に怒りで熱くなってきた。。)
そうするといたたまれない思いになり、非常に苦しみ、壁を叩いてもびくともしないので、「うるせーな!出てけよ!」と一人で言って、一人で嫌な気持ちになってしまいます。。
聞きたくもない時にパンクをでかい音で鳴らしたり、イヤーマフ(防音ヘッドフォン)を付けてどうにか防ごうとしまうが、音漏れがでか過ぎるときは何をやっても伝わってくるし、こちらの執着も激しくなります。
あと半年後のアパートの更新になったら、ようやく出ていく予定なのですが、この因縁とも言える「うるさい男」と「繊細な男」の隣人関係にいささか疲れ果ててしまいました。
夢にも奴が出てきますからね。
怨憎会苦を解決しよう!
と背景を語ったところで、ようやく今日の本題に入りますが、仏道でとっても役に立つyoutubeを見つけました。
↓こちらです。
まず四苦八苦の煩悩の一つ怨憎会苦という苦しみがあります。
嫌な人でも会わねばならないこの苦しみ。
まさに今のぼくでありまして、二度とこういう周りに気を使えない、自己中心的な人と関わりたくないものですが、隣の部屋に住んでいて、そこに帰っていくしかないわけですから、怨憎会苦を体感させられざるを得ません。
それに対して「あいつのせいでオレが苦しんでる」という自分の思いに振り回さらないことだと教えられます。
他因自果といって、問題は相手ではなく、そういう思いに捕らわれてしまう自分だということなんですね。
条件反射的に反応してしまうので、なかなかハードルは高いですが、理屈は分かります。
さらになぜこの苦しみが起きているかというと、因縁から成り立っている説きます。
「因」は私の原因、「縁」は相手とのご縁、これが結びついて今回で言えば苦しみという結果が生じている。
つまり相手(こうちゃんという名前らしい、彼女に追い出される珍場面に遭遇した時にそう呼ばれていた)はぼくという原因と結びつくと苦しみという結果を生み出すが、違うあまり音が気にならないBさんと因縁が結びつくとお互いハッピーになるわけです。
理屈は分かります。
そしてこの因縁を経つためには、「因」である自分を変えるか、「縁」である彼と離れるかしかないと言います。
さらに彼という存在を通して、自分もそうであったこと(確かに20代くらいまではまったく他人のことなど考えもしなかった)、彼の発散しないとたまらない苦しみも、感じやすいので感じます。
それでも、だからと言って、「おれの邪魔をするな!」という欲の心が働きますが、すべて無常で移り変わるものではないか、あと半年できる限り大らかな心で付き合って、学べるところは学んで、別れようじゃないか、と思ったわけです。
客観的に第三者の目から見れば、きっと悲しいけど同類なんだと思います。。
ここで何かを学べるか学べないかで大きな差が付きそうな気がします。

まだまだ若輩者で、お釈迦さまの言っていたことのこれっぽっちも分かってないと思うのですが、そう気づかされることによって、幾分楽になった自分がいます。
それでもまた騒音が聞こえれば、イライラすると思われます。
それでいいじゃないか。
それは苦しい体験だけど、それが積み重なれば角が取れて、免疫ができて、前よりかはだけど少しだけ広く成長できるかもしれぬ。
どうあがいても起きてくる怨憎会苦という因縁と逃げるのではなく向き合って、少しだけでも怒りを軽くしていこうと思った今日でした!
何があっても感謝の心で生きよう!!